「ポストコロナの成長戦略」―――あらゆる業界においても叫ばれて久しいタイトル。コロナがもたらした功罪は様々あれど、ある視座に立つと「功」の方が多いのかもしれない。旧態依然とした構造、過去の踏襲、変化を恐れる人間の保守的な思考のクセから強制的にパラダイムシフトせざるを得ない状況を作ってくれ、革新に向かえた。という見方も出来る。

特に「お寺」という業界においては、パラダイムシフトの幅は著しく激しいものとなっていると言えるだろう。仏教古典の教えに「諸行無常(しょぎょうむじょう)」世の中の総ては常に変転変化する。という教えがある。諸行(世の中のすべてのこと)は、無常(常に一定でない)である。コロナはこれを痛烈に教えてくれている。

3つのお寺

お寺には、大きく 3 分類の経営形態があると言える。観光寺・祈祷寺・檀家寺の3つである。どの経営形態のお寺をとっても、「人が集う。」というリアル体験を伴うことを起点としたビジネスモデルであった。(敢えて俗世的にビジネスモデルという表現をした)


世界的にコロナが落ち着きを見せ始め、人の流動が始まっているとは言え、未だ国内のみならず、この数年過熱してきた外国人旅行者来場の回復メドは立たない。「観光」による拝観料を主とする観光寺は、従前の様な回復見込みはまだ立たないと推察される。

時代がどんなに流れようとも、いつの世にも人が生きるうえで様々な葛藤・渇愛があり、悩みがある。祈祷寺においては、リアルな面談によって相談者の悩みをヒアリングし、気持ちに寄り添い、「祈祷」を行い、相談者の心を軽くする。仮に前述の様なプロセスをたどる場合、オンラインで総てのプロセスを行えなくはない。しかしながらオンラインで行う場合、空間エネルギーという価値をどこまでリアルな質感で提供し、相談者が支払う祈祷料以上の満足度を如何に担保できるか?がポイントになるだろう。

先祖代々の御霊をお祀りする墓所があり、先祖を経典と共に供養し、故人に思いを馳せる。盆・暮れ・正月・祥月命日・・と定期的にお寺もしくは「檀家」の自宅で法要を行う檀家寺にとっては、俗世的に言うといわゆる「会員化のストックビジネスモデル」であるから、檀家が支払う会費とお布施以上の価値提供をすることで顧客満足がある。とするならば、ソーシャルディスタンスが依然払拭できない中で、リアルとバーチャルを駆使して顧客(檀家)満足を得る必要があるだろう。

上記のどれを取っても「顧客接点」を軸としてきたビジネスモデルの革新を否応なく始める必要がある。以前より、そうなりそうだと「感じていた。」感じてはいたものの、手を打っては来なかった。それがコロナの到来によって、着手できていなかった様々な課題が最重要課題として一気に動き出した。今後は IT を駆使し、バーチャルによる顧客接点から、顧客のリアル体験を引出し、それをどれだけ価値あるものとして提供出来るか?が寺院経営の重要なキーファクターとなるだろう。(敢えて信者や檀家を顧客と表現している)

マーケットを視る

コロナ以前より業界が抱える構造的な課題もある。日本に約77,000カ寺存在するとの統計があるお寺(宗教法人)が、実際に稼働しているのは約50,000カ寺と言われている。そして、10年後にはこの半数の約25,000カ寺ほどしか残らないであろうと推測されている。その原因のひとつに宗教心の希薄化があるとされているが、このテーマをもう少し掘り下げると、核家族化により「家」から「個」にライフシフトして久しいこと。そもそもの人口減少(特に生産年齢人口の減少)。関連して都心集中による地方の過疎化。併せて葬儀・法要・墓所(お墓や納骨堂、永代供養堂など)への価値観の変化や多様化が起因している。これは俗世のビジネスで言えば、「顧客ニーズが変化した。」ということである。特に檀家寺にとっては、ビジネスモデルの変革を余儀なくされる現象であり、伝統仏教の古典を時代の顧客(檀家)ニーズにどうフィットさせていくのか?は、コロナ以前より寺院経営の大きなテーマとなっていた。

この時代の変化に対して創意工夫し、差別化を思考し、中期計画を立て、変革に取り組む能動的アクションを取ってきたお寺と、近未来に起こる課題認識をしつつも現状に流され、ほぼノーリアクションのお寺。前者と後者で徐々に寺院存続の可能性に差が広がり始めていたが、その差をより一層色濃く分けたのがコロナである。コロナと言う異変によって、苦しみながらも環境に適応すべく能動的アクションを取る経験値を持った前者は、お寺と檀家が協力し、寺院存続のために新たな価値を創出すべく様々な取り組みに奔走し、試行錯誤する日々に多忙である。一方、過去の踏襲だけを重んじてきた後者は、コロナを理由に檀家のお寺への参集が遠のき、感染拡大防止を理由に檀家宅への訪問を拒まれ、閑散とした境内になすすべなく溜め息を吐く日々である。極端な事例をお伝えしているが、コロナという時代転換点において、転換前の顧客接点に「どれだけ檀家が満足していたか?」を檀家(顧客)がお寺(企業)もしくは住職(経営者)へ発した答え。と解釈していいだろう。

ファイナンスのハードル

市場や顧客ニーズの変化とは別に、コロナ以前より個々のお寺のテーマとなってきたのが「ハードの維持」である。本堂の建替えや改修が、一番多額のハード維持コストとなるが、お寺には他にも数多くのハードがある。近隣で見慣れたお寺の情景を思い出してみて欲しい。山門(入口)・釣鐘(つりがね)堂・宝物殿・墓地・納骨堂・永代供養堂・その他のお堂・庫裏(寺族の住まい)など、人々が先祖を弔うのに相応しいある種の畏敬の念を持てる立派な建造物が脳裏に浮かばれるだろう。自分の先祖供養をする建物(ハード)が、安普請で頼りないものよりも、重厚で荘厳なものであり畏敬の念を感じれる方が高い満足度が得られるのではないだろうか。これは檀家寺だけでなく、拝観料を拝受する観光寺であれば、そのお寺における史実を伝承する上でもハード維持は絶対要件である。一定の文化財となれば行政支援もあるだろうが、そうでない場合は総て自力で賄うことになる。毎年の維持や軽微な改修は数年に一度だとしても、信心の中心となるご本尊をお祀りする本堂においては、数十年に一度の建替えが必要となり、街中でよく見かけるお寺でも億単位の費用が必要となる。では、その資金調達はどうするのか?ということになるが、殆どが数十年に渡って積み立てる貯蓄である。建替えに伴うお布施(寄付)は当然募るものの、バブル期に存在された豪気な企業オーナーや資産家の総代や檀家の中から、タニマチ的旦那衆がポンと多額の資金を出してくれていたのは、遠い遠い過去の栄華で、現実的には改修に伴うお布施はあくまで+αで、主軸は長年に渡って積み立ててきた貯金なのである。一般企業経営者であれば、なぜ融資という資金調達方法を取らないのか?という素朴な疑問が浮かばれるだろう。

事業計画案を提出し、銀行に融資相談しないのか?宗教法人は、公益事業である。公益事業であるから様々なハードルはあるものの、融資という手段を選択しない(出来ない)のは、シンプルに銀行が貸さないからである。通常の事業の様に運転資金程度の数千万単位なら、個人保証や別担保差し入れで可能かもしれないが、本堂建て替え費用に数億円という資金を融資することは極めて難しい。理由は、銀行が債権保全出来ないからである。事業計画の確度という収益能力・保証協会または個人の連帯保証による保証能力・質権となる土地建物の担保能力が融資合否の基準とした場合、お寺の場合は担保能力において、金融機関的視座に立てば、致命的な欠陥がある。仮に返済が滞り、回収メドが立たなくなった場合、通常であれば担保物件である境内地および立派な建物を差し押さえし、競売する。という手段が取れる。仮にお寺を債権保全のために競売にかけ落札されたとしよう。例えば競売にかけられたお寺が真言宗のお寺だったと仮定して、落札したお寺が浄土真宗のお寺だったと仮定した時、永年に渡って真言宗の経典で先祖代々を供養してきた檀家は、急に浄土真宗に改宗し全く違う経典で先祖供養することがスムーズに受け入れられるだろうか?改宗以前に大変な問題となり、大波乱が起きることは必至なのである。檀家は顧客の様で株主的な側面も併せて持っている。日本の会社組織で言うと相互会社に近いイメージかもしれない。そして、殆どのお寺が本山(宗派の本部)に包括される立場の包括法人であり、容易に宗派の変更ができない。この辺りが宗教法人特有の事情として、金融機関的な視座からは担保能力がないに等しいと判断せざるを得ないため、事業の根幹となるような多額の融資は検討から外れるのである。加えてファイナンスのテーマでは、社会現象の影響も同時に受けている。バブル期の豪気なタニマチ的企業オーナーとまではいかなくても、事あるごとに、物心共に寺院経営に親身に与してきたのが檀家総代の方たちである。この多くは寺院の地域にある地場中小企業オーナーの方々である。日本の中小企業オーナーの平均は 70 歳近くとなり、高齢化と後継者不足、DX 移行の出遅れ等の様々な問題から約 120 万社が消え去るとも言われている。企業の持続可能性を考えた場合、同業他社や大企業による M&A を模索し売却する中小企業オーナーも少なくない。この社会現象をお寺サイドの視座で見ると、ロイヤルカスタマー(最重要顧客)や優良ステイクホルダー(安定株主)の消失となり、経営的には物心共に大打撃を受けることがすごく近い将来に予測される。

次の一手

ではポストコロナにおいて、お寺にはどんな成長戦略があるのか?約 2500 年前から脈々と受け継がれて来たことは事実としてある。そこにはどんな魅力があるのだろうか?

時代にフィットした成長戦略を描く上で、まずはお寺の持つ魅力(強み)にフォーカスして考察してみたい。最初に、前述の様に多額のコストを投じて建立された建物群やご本尊、仏具・仏装品などによって放たれる「場のエネルギー」があるだろう。お寺に行く、本堂でご本尊の前に座してみる。なぜか心が安らかに落ち着く。というご経験をお持ちの方も少なくないのではないだろうか。自身の先祖を尊びご供養するという行為以外に、「お寺という場の魅力」を体感することが出来るだろう。これは現代社会に置けるメンタルヘルス、マインドフルネス、或いは元来、寺子屋という教育機関であった様に教育研修を行う場としての活用の可能性もあるだろう。従って、一点目を「場の魅力」と仮置きしてみよう。

二点目には、古来より伝承されてきた仏教の教えは何よりの魅力だと思える。いつの時代からか葬儀社の出現を起点としていると推察されるが、お祝いの祭事(地鎮祭や結婚式など)は神社、葬儀などの弔い事の葬儀式典は葬儀社で、お寺では住職(僧職者)が読経をする人、かつ納骨後の供養をする場所のようなポジションに置かれている。しかし、歴史を辿れば戸籍謄本(血縁の過去帳)がある行政機関でもあり、前述の様に寺子屋として教育機関としても存在した歴史もあり、いわば地域コミュニティーとして人々が集まる場所であった。それは古来よりの仏教経典が、「心のよりどころ」であった証拠だと思える。例えば、般若心経を読解すれば、人の生き方・あり方・人生とは何だ?という内容であり、さしずめ経営者が読めば、経営指南書のようにも感じられるかもしれない。従って、二点目を「教えの魅力」と仮置きしてみよう。

三点目は、やはり人。住職という一定の修行を積み、古来よりの伝統仏教を修得し悟りを得られたスペシャリストで、尚且つその修行を通じて人間力を保持した経営者でもある人物とのコミュニケーションによって、諸行無常で変転変化のスピードが加速する一方の現代で、心を中庸に保ち、まだ見ぬ未来に向かって心の安穏を得ることも、お寺との接点を持つ魅力のひとつと考えられる。従って、三点目は「住職(人)の魅力」と仮置きする。上記 3点の「場」「教え」「住職(人)」の魅力をビジネスライクに表現すると、お寺のプロダクトもしくは、サービスソリューションという言い方にしてみよう。市場(顧客)は、そのプロダクトやサービスソリューションをどういう接点や状態で受け取りたいのか?どんな受け取り方をしたら利便性や満足度が高まるのか?ということになる。
加えて、そもそも受け取りたいと思える宗教心はあるのか?という点も併せて考察してみたい。後者の宗教心については、一般的には希薄化した。と言われ、特に若い世代は顕著であると言われているが、私個人としては疑問符を投げる。確かに私の講演会等で参加者に「自身の菩提寺(先祖が供養してある寺)は?」と問いかけてみても、寺や墓所のある場所は知っていても、宗派や住職まではご存知ない方が殆どだ。しかし、起業する際には近くの神社に祈祷に行かれる若いビジネスパーソンを見受けるし、顧客の寺社を巡れば、御朱印帳に御朱印をスタンプラリーの如く収集する若い女性たちも多く見かける。恋愛祈願、開運、金運、因縁浄化などなど、人間の心が揺れ動く限り、何かに救いを求め、心の安穏を得たい行動は永遠に続くし、生きるとはそういうことなのかもしれない。と思えるほどである。宗教心が希薄化したのではなく、従来のお寺との関わり方について、敬遠されている。という判断の方が正しい気がする。現代社会における働き方や人流はボーダレスである。特にコロナによって IT 化は過速度的に進み、リモートワーク、ワーケ―ションなど自由闊達に仕事の本質が研ぎ澄まされた。やるべきことをやりたい場所や時間でやれれば良く、むしろクオリティや効率化が進むのであれば、企業サイドとしても出社や勤怠管理など必要ない。というくらいにビジネスの感覚は進化した。その感覚を持つ人々のユーザビリティやニードを考慮した時、先祖古来とはいえ、ひとつの宗派における過去の踏襲だけでは、ファン化や満足度を得ることは難しいのではないだろうか。特に檀家寺においては、イベントや墓所開発で如何に檀家を増やすか?に注力してきたが、収益を檀家の会費+お布施に依存する経営体質から脱却して、既存檀家と共に協力し、広くファン層やライトユーザー層への接点を持ち、コミュニティーを確立する方向へシフトしていく必要があるだろう。従来も少数ではあるが革新に取り組むお寺や住職が存在された。それがコロナ以降、YouTuber として仏教の経典を広める住職も多数出現され、仏教経典だけでなく精進料理などのテーマでチャンネル登録者数が数万人になる方もいらっしゃる。立派なメディアとして成立されている。この様に仏教と世の人々との接点のハードルはかなり下がってきた。また、インバウンド期待の観光寺においても、オンライン参拝やオンラインお守り・おみくじ・御朱印など、インターネットで世界中と瞬時に繋がる時代に、バーチャルを活用して質の高い疑似体験を提供し、リアルにお寺に行きたい衝動に駆られるような顧客接点を提供されることで活路が開けるだろうと考える。多様化する顧客ニーズに向けて神仏、宗派を超えたコミュニティー形成があり、価値の届け方としてサブスクリプションという方法で価値提供されてもいいのではないかと思う。寺院の経営スタイルが価値あるものに革新されれば、資金調達方法も選択肢が広がるし(文化財を残すためのクラウドファンディングは現存する)、結果として収益も増大する。その収益で得た資金で、中期的に寺業を創る政策投資と、長期的に次世代に継承するハード(建物)への貯蓄と投資で運用する。これを実現する上で住職(経営者)が取り組むべきテーマは、寺院経営革新の決断をされ、檀家総代の皆さんと合意形成し、法務・税務はもとより、IT リテラシーとファイナンシャルリテラシーに長けた良きパートナーを得て、寺院経営革新に向けて戦略チームを組成することを始められることからだろう。

これらのパラダイムシフトは、何か急に新たなことにチャレンジするように受け取りがちだが、一般企業においてよく言われる「企業とは、環境適応業である。」ということと全く同じことで、人類が永い永い諸行無常の歴史の中で、その時々の環境に適応し続けてきた「適者生存」の原理である。

この記事を書いた人

笠原慎也

笠原 慎也 (かさはら しんや)

1967年 長崎県佐世保市生まれ

東証一部上場企業、保険業界を歴任後、自ら経営者として独立。
複数の会社を経営する傍ら、戦略会計・経営・財源構築・人財育成におけるコンサルティング及び顧問業務、企業研修講師業務など、企業や伝統仏教寺院の経営軍師として活躍中。

25年の寺院経営コンサルキャリアがあり、寺院の責任役員も経験。
寺業革新と財源構築を行い、寺院の「持続可能性を高める」ことを目的としたコンサルティングを行う。最近では、後進育成のため金融業界や会計士業界向けに宗教法人コンサルの仕方を伝授している。

株式会社 ひばりコンサルティング 代表取締役
株式会社 中庸 取締役会長
ほか複数社の取締役を兼務